おう・しょう

王昭

Wang Zhao

王昭

皇帝の末裔

中国金王朝の世宗皇帝27代目の父と、清朝最後の皇帝・溥儀の妹を母に持つ王昭。
両親ともに北京画院の画家で、幼少の頃から中国水墨画や宮廷画に慣れ親しむ。

母の家族(前列中央が王昭の母、後列中央が溥儀の父)

母の家族(前列中央が王昭の母、後列中央が溥儀の父)

若い頃の母・愛新覚羅溥韞娯

若い頃の母・愛新覚羅溥韞娯

溥儀と少年時代の王昭

溥儀と少年時代の王昭

下放の時代

中国文化大革命のあおりで18歳の時に延安に下放され、重労働を強いられるが、
28歳の時、周恩来首相の夫人(全人代委員長)の計らいで北京に戻り、最年少で北京画院の会員に。

下放時代の王昭

下放時代の王昭

※昼は軌道工、夜は新聞の挿絵師をしていた王昭(右)

※昼は軌道工、夜は新聞の挿絵師をしていた王昭(右)

王昭が描いた西安鉄道新聞の挿絵

王昭が描いた西安鉄道新聞の挿絵

失われた技法

中国を旅する中、敦煌・莫高窟に残された彩色壁画に衝撃を受ける。
唐の時代以降、水墨画が主流となった中国では鉱物顔料の技法は失われ、
日本で岩絵の具として花開いていた。

敦煌の莫高窟

敦煌の莫高窟

鉱物顔料を使った莫高窟の壁画

鉱物顔料を使った莫高窟の壁画

デッサン旅行をする王昭

デッサン旅行をする王昭

新たな画境へ

最愛の母の死を契機に来日。東京芸大で日本画の巨匠・平山郁夫の門下生となり、日本画を学ぶ。
中国水墨画と現代日本画を融合した独自の画境を生み出し、
日本/中国/欧州と世界で70回以上個展を開く。
2012年、中国黒竜江省政府の支援によりハルビン市で「王昭美術館」が開館。

平山郁夫(中央)と王昭(左)

平山郁夫(中央)と王昭(左)

中川一政画伯(左)から日本画の技法を学ぶ王昭(右)

中川一政画伯(左)から日本画の技法を学ぶ王昭(右)

ハルピンの完顔昭(王昭の民族名)美術館での挨拶

ハルピンの完顔昭(王昭の民族名)美術館での挨拶